かつて「北海道現代美術の母」と呼ばれた女性(ひと)がいた。彼女は75歳にして長年描き続けてきた具象絵画から一転し、現代の表現である抽象的なコラージュ、アサンブラージュ、オブジェ制作に没頭し生涯を全うしたのである。彼女の名前は門馬よ宇子。ギャラリー門馬の産みの親その人である。他界するまでの十数年間、彼女とっては孫のような若い世代の作家達と共に学び、遊び、制作し、発表し、残りの作家人生を大いに謳歌したのだった。彼女の現代美術に対する熱意、愛情は作品制作のみに留まらず自らの家を改装して企画とレンタル両方を兼ねたギャラリーを開設した。中でもレンタルギャラリーは、ほとんど経費のみと思われる安い料金設定と現代的な空間ということもあり、若い世代を中心に多いに愛され稼働率はほぼ100%だった。
門馬よ宇子が北海道新聞に「北海道現代美術の母」と呼ばれたことには理由がある。2003年頃から彼女は地元の中堅作家と話し合い北海道での本格的な国際美術展開催を目標として運動を始めたのだ。その当時の彼女の口癖が「北海道には非凡な若手アーティストがたくさんいるの。そんな若手を世界に発信したい。こんなお婆さんを仲間として一緒に楽しんでくれた彼らに恩返しをしたい」。
その言葉の通り2005年、北海道立近代美術館で自らが実行委員会の会長となり「FIX・MIX・MAXー現代美術の最前線」という小規模ながらも地元、国内はもとより海外のアーティストをも招聘し、小さな国際展は開催された。この国際展は、10日間という短い会期にもかかわらず4000人近い動員を集めたのであった。
ここで特記しなければならないことがある。小規模ながらも美術館で国際展を開催するには、それ相応の資金が必要だ。芸術とお金は相反するイメージというのが一般的だが、お金がなければ美術展は出来ない。まして美術館を使っての国際展となれば金の他、スポンサー、協力者が必要不可欠である。当然、「FIX・MIX・MAXー現代美術の最前線」展の開催前には実行委員会、スタッフも志は高いものの実質的なお金の面では相当に苦労し厳しい状況に陥った。その時である、門馬よ宇子が実行委員会に250万円という大金を差し出したのである。お金の出元のほとんどは先に述べたギャラリー門馬のレンタル料を一銭も使わずに貯めておいたものだった。その上さらに自ら所有していた着物などを売って集めた250万円だ。この話は直ぐにアーティスト、ボランティアスタッフに伝わって展覧会に向けてのモチベーションが一気に高まり、それぞれが残りの不足金額を集めに地元企業、美術愛好家、小さな喫茶店に至るまで駆けずり回り約150万円を集め展覧会は無事開催されたのである。
この展覧会は「札幌における本格的国際美術展を見据えて」と銘打って広報したこともあり、当時の札幌市文化課など文化行政に携わる方々も鑑賞された。また2年後に開催した「FIX・MIX・MAX2ー現代美術の最前線」にも同じく行政の方々や当時の市長も来場された。このことは現在、3年に一度開催されている札幌国際芸術祭への直接の切っ掛けとまでは言わないが、大きな第一歩になったことは間違いないだろう。
門馬よ宇子が他界するまでの約10年間の軌跡は、その後の若い世代のアーティストの活躍、札幌国際芸術祭の実現などの礎となり、ここに門馬よ宇子が「北海道現代美術の母」と呼ばれた所以があるのだ。
現在、ギャラリー門馬は亡き母の志を継いで娘の恵子さんが運営を行なっている。2021年春に今までのギャラリーを解体し、秋には装いも新たにしてギャラリー門馬が誕生する。そこには門馬よ宇子イズムをベースとした恵子イズムが北海道美術の未来を見据えるのであろう。
生前の門馬よ宇子さんと共に学び遊んだ仲間のひとり 端 聡(美術家)